【Nさん】私の親プロ(親プログラム)体験記①
プログラム参加期間 X年 2月 ~ X+1 年 4月
1.参加する前の一番たいへんだったときのこと
2.ほかの機関で相談したこと
3.なぜ参加しようと思ったか
4.体験者の語りを聞いてどう思ったか
5.始める前の気持ち,最初の日々のこと
6.やっていくうちにどんなことが起きたか
7.もし,このプログラムに参加してなかったら・・・
1.参加する前の一番たいへんだったときのこと
【次男のこと】
●保育園時代
ほんとうにささいなことで癇癪をおこしていて,何がスイッチになるかもわからないくらい全ての事に対して癇癪を何度もおこして泣き叫ぶ,私を叩く,蹴るの毎日でした。
口癖のように
「どうせ僕のことを馬鹿だとおもっとるんやろう」,
「僕を馬鹿にしとるんか」,
「僕なんかどうせ誰からも嫌われるだめなやつだ」,
「皆ぼくに意地悪をしてくる」,
「ママも僕が嫌いで意地悪をしてくる」,
「みんな僕にいやなことしかしない」,
「僕は保育園でも怒られるだめなやつだ」,
「だれも僕の話をきいてくれない」
と毎日のように言っていました。
癇癪がおさまると豹変したかのように,つくり笑顔で「ママだいすき」と連呼していました。
極端に言えば,一日の間で起きているときは癇癪をおこしているか,つくり笑顔をしいるかのどちらかの状態でした。
足をぶつけたり転んだりすると
「こんなところにおいてあるテーブルや椅子が悪い,捨てる」
「このくそやろう」
と言って,物を叩いたり蹴ったりして壊す。
積み木やブロックがうまくできないと,
「そのおもちゃがわるい,捨てる」
と癇癪をおこし,おもちゃをあたりになげとばす。
「ご飯が熱くて食べられないのは,ばあばのせい」といって癇癪,
嫌いな食べ物が食卓にあると
「ママのせい,何もたべるものがない」と癇癪。
たべられるものは,白ご飯にふりかけ,ソーメン,うどん,コーンフレーク,チョコチップパン,アンパンのみで,他のものは家では一切口にせず,他のものをたべさせようとすると癇癪。
食事のたびにささいなことで毎日このような事が起きていました。
癇癪を起こさない日は一度もありませんでした。
鮭のふりかけをごはんにかけている途中,半分こぼれただけで,
「今すぐ買ってこい!」と癇癪を起こし,
「明日かってくるよ。」というと
「だれも話しをきいてくれない!僕を馬鹿にする!」と,椅子を倒し,物をなげつけ,私を蹴り,近くにあるもので叩いたり,
買ってくるまで1時間近く暴れ,
「ママはふりかけ買ってくるけどもう家には帰ってこんわ!」
といって家を出ようとすると、
「いかないで!」といって静かになり,
その後は「ママだいすき」とずっと作り笑顔をしている。
次男の癇癪のたびに,
「もうママはでていく,帰ってこない,死んだほうがいいわ」と言い,
家をでていっていました。
次男が癇癪を起こし,私が怒鳴り散らし,祖母も輪をかけるように入ってきて
私が“きちがい”だからこういうことになると言い,
母と私の言い争いにもなっていました。
次男の癇癪が毎日あるため,私と母の言い争いもほぼ毎日ありました。
私は母との言い争いが酷くなると,物にあたりちらして壊し,食器を割り,ガラスを割り,ありとあらゆる物にあたり壊していました。
毎日が,次男が癇癪を起こす
→次男が手当たり次第暴れる
→私が切れる
→祖母も加わり罵倒する。
この繰り返しで穏やかに過ごせた日は一日もありませんでした。
次男は産まれたときからいつでも泣き叫んでいたように思います。
私の精神状態はいつでも不安定でした。
次男が産まれてから,親プロに出会うまで,私がおだやかな状態だった時はないかもしれません。
次男のチックも日に日に酷くなっていきました。
チックのために,他の動作ができませんでした。
食事もまともにできない,走る時によーいどんでスタートができない。
走れない,サッカーボールを蹴り返すこともできない。
手を使う動作以外にも支障がでるほどでした。
私は、チックがでている次男は嫌いだとその度に言ったり,恥ずかしいからやめなさい,と何度もしつこく注意していました。
注意すればするほど酷くなり,私が注意すると、癇癪の原因にもなっていました。
そんなだと皆から嫌われるよ,と、ずっと注意していました。
特に人前でされると恥ずかしく,イライラしてきて次男にさらにきつくあたっていました。
なんでこの子はこんなにも異様な行動をするんだろうか,
日に日に酷くなっていく姿をみて,こんなのを毎日みて暮らすのは耐えられないとも思っていました。
毎日仕事から家に帰るのも苦痛で,癇癪を起こす次男を保育園に迎えにいくことが嫌で嫌でたまりませんでした。
一日の流れは,朝の起こし方が気に入らないと,
「もう一回寝て夜からやりなおせ!」と怒る。
着替えさせる時の服の脱がせ方,着せ方が気に入らないと
「ママのせいで腕がいたい」と癇癪。
朝ごはんも全てが気に入らない,
「はしがおちた,ママのせい」と癇癪。
保育園へも毎日いきしぶり泣き喚くのを先生に無理やり引き渡す。
保育園に迎えに行くと機嫌がいつもわるく,
「今日も保育園で嫌なことがあった,皆が意地悪してくる,皆が僕にいやなことをする,先生が僕はだめなやつだというから,どうせだめなやつだ」
と言って癇癪。
夜ごはんの時は
「嫌いなものがあった,ばあばのせい,僕にまたいやなことをしてくる」と癇癪。
夜寝るときは
「なんでねないといけないんだ」
と癇癪。
夜中もだいたい23時~0時頃目を覚まし,それから2時くらいまではずっと起きて身体をかきむしっている。
夜中に目を覚まされると,私もようやく寝ようとしていたところに起きられるため,眠れずにイライラして,起きるな,早く寝ろ,と何度も怒鳴り散らしていました。
この頃は次男も常に寝不足のような状態だったと思います。
おもちゃで遊んでいて,みたかったテレビがエンディングになっていると
「ママのせい,ママがわるい,テレビをみれなかったのは全部ママがわるい,いじわる」
と睨み付けてくる。
「みたかったね。明日は間に合うように声かけるね。」というと1時間ちかく
「ママがわるい。あやまれ」と言いつづける。
寝る前に歯を磨いてやるときにも何度もチックがでるため,イライラして嫌な顔をしたら,
「その顔やめて!!普通の顔して!そういう顔しないで!その顔がいやだ!」
と癇癪。
普通の顔をしているつもりのなんでもないときにも,突然,
「その顔やめて!」
と癇癪,
普通に話しかけたつもりのときも,
「その話し方やめて!そのしゃべり方がいやだ!」と癇癪。
私が何をしても,しなくても全てがいやだと癇癪。
話しかける言葉全てにたいして,「しゃべり方が嫌」と癇癪。
何も話すこともできない,普通の顔もしていてはいけない。
どこかに行けば,毎回高価なものを買ってとわめき,
スーパーでも目に入るもの全てほしい,お菓子,玩具付きのお菓子,小さいものからおもちゃまでなんでもかんでも買って!買って!買って!といい,買って満たされるわけではなく,次から次へと買って買って買って。
この繰り返しでした。
できる限りで小言を控えだしてからは,それまでの状況から一変して,
夜ごはんは横抱きにして赤ちゃんのように抱っこして食べさせてという。
部屋の中での移動(風呂に入る,2階にあがる,ごはんを食べる,トイレにいく)は全て抱っこじゃないといけない。
スーパーでの買い物もずっと抱っこ,
部屋の中で少しでも私が離れると不安で離れられない。
同じ家の中でも私の後追い,常に一緒にいないといけない。赤ちゃんの頃の状態に戻っていきました。
●小学生
小学校へ上がってからは毎日行き渋りがありました。
付き添いがないと学校へ登校できませんでした。
「学校やめる」,
「先生は嘘ばっかりつく」,
「勉強ばっかりさせれらて楽しくない」,
「なんで学校なんかにいかないといけないのか」
等と毎日学校の不満をいい,癇癪になり,
「もう学校はいかんわ!」と言っていました。
授業中はひたすらプリントを真っ黒に塗りつぶしているだけか,机に伏せているか。
鉛筆も毎日かじってきて,ふやけて芯がむき出しにになっているので,毎日のように鉛筆を新しいものにしていました。
参観日では,床に寝っころがったり、私の姿をみつけると、
「学校なんかやめる!こんなところにいきたくない」
と癇癪を起こし,私が帰ると泣きながら,追いかけてきて,学校へ連れ戻すも,ずっと廊下で「帰る!」と泣きさけんでいました。
そのような状況でも担任の先生,補助の先生達は見向きもせず,声をかけてくれるわけでもなく,
次男はまるでいないかのように授業は進んでいっていました。
はみでる子供は助けてもらえないんだとここでも感じ,
逃げだす次男を捕まえては学校へ連れ戻し,教室へ無理やり入れようとするもできずに私も途方にくれていました。
この時の参観日をきっかけに私はその後,学校へ行くことができず,担任の先生との懇談も全て欠席するようになりました。
宿題でも毎日,癇癪をおこしていました。
プリントを破る,鉛筆でぐちゃぐちゃにし,
「なんで宿題をやらないとといけないのか」,
「なんでこんなに宿題があるのか」,
「先生はこんなに宿題をだして俺を殺す気か」
と言っていました。
入学後しばらくは特に不安が強く,外にでられない。
死ぬんではないかといい,遊具であそべない。
車にひかれるから自転車に乗らない。
お風呂に入るとおぼれて死ぬ。
走るところんで頭を打って死ぬ。
遊具から落ちると死ぬ。
家中に“走るな”と書いた貼り紙をし,誰とも遊べなくなり,学校へ行ってはいましたが,それ以外は家にひきこもってゲームばかりしていました。
常に死ぬんではないかと不安がつきまとっているようでした。
放課後クラブでも毎日のようにトラブルを起こしていました。
上級生の女子グループから,からかいの対象となり,
わざと次男が怒るようなことをして挑発して遊ぶ対象にされていました。
(次男が読んでいる本をとりあげてみたり,遊具の順番をぬかしたり・・・)
そのたびに次男が怒り,手や足がでて,放課後クラブの先生に,次男だけが毎日怒られる・・・
その繰り返しでした。
放課後クラブへ迎えにいくと,毎日のように
「もう俺は死にたい,こんなに毎日嫌なことばっかりあって,死んだほうがましだ」
と言っていました。
夏休みに入る前に放課後クラブへは完全に行けなくなりました。
2.ほかの機関で相談したこと
私が複数の精神科,心療内科へ行き,死にたい事,子供を育てることが辛いというと,
産後鬱だと言われ,薬が大量に処方されるだけでした。
3.なぜ参加しようと思ったか
アンちゃんのブログをみつけて一晩で全て読み,もうここしかないと直感で感じたからだと思います。
いろんな人のブログをみてきたけど,どれも少しうそくさく感じていて,
でもアンちゃんのブログを読んだ瞬間,私にはここしかないように感じ,
次の日は四国へ電話をしていました。
4.体験者の語りをきいてどう思ったか
3人の話は子供の話に関しては,どのエピソードも息子のことかと思うようなものばかりでした。聞いていて涙がとまりませんでした。
こんな子いらない,と思っていて,途中で親プロをリタイヤしようと何度も思ったけれど
先生は最後まで見捨てずにいてくれた。
という方の体験談では,私にもかすかな希望がみえました。
私も変われるかもしれない。
そして,今までは自分の本心をさらけだすことはしてこなかったけれど,
ここでは本心を語ってもいいのかもしれない,
隠さずに本当の自分をだしても,ここならもしかすると受け止めてもらえるのかもしれない。
と感じていました。
皆それぞれにすさまじいことをくぐりぬけてきていたのに,
話している3人は凄くキラキラしていて,そのような日々をくぐりぬけてきたようには
とても思えない,笑顔がとてもステキで,後ろから光が刺しているかくらい,
1年前の私には輝いて眩しくみえました。
同時にその時の自分はなんて陰気なんだろうとかなり落ち込みました。
雲泥の差だと,落ち込みました。
1年後に自分が同じようになっているか?とも考えてみましたが,
私はなっていないだろう。とそのときはなんとなく思っていました。
体験者で語る人たちは成功者であって,
私が同じように成功者になるとは正直,思えませんでした。
その時の私は,次男のような子供がいることを恥ずかしく思い,
常に他人の目が怖く,
基準は他人の目と他人からの評価で,
人と接する事ができない状態でした。
“私”というものはなく,判断基準は人からどう見られているか。
人にどう思われるか。ばかりでした。
子供の頃からも人を遠ざけて生きてきていたけれど,
子育てをきっかけにさらに人とつながることが怖く,誰とも関わりをもつことができませんでした。
親プロにかけてみよう,私もかわるかもしれない。
と最後の望みを持つ一方で,
体験者の語りの3名は特別に成功した人達だから,という思いがぬぐえませんでした。
体験者の3人が口をそろえて,「大丈夫」といっていた言葉が印象に強く残っています。
「絶対大丈夫」と,笑顔でいっているのはなんでなんだろう?と,
何故そこまでいえるんだろう?選ばれた人だからでは?成功者だからでは?と感じていました。
私が体験者の方のように,1年後に輝いている姿は,とてもじゃないけど想像できず,
私はあのようにはなれる気がしない・・と思っていました。
親プロを楽しみにしていましたし,1年かけて変わっていきたいと言ったけど,
私は1年後に輝いてはいないだろう。とぼんやりと思っていました。
あのようになりたいと願いつつ,でも私はなれるはずがない。
という思いのほうが強かったかもしれません。
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