【Nさん】私の親プロ(親プログラム)体験記②
5.始める前の気持ち,最初の日々のこと
●始める前の気持ち
自分がひどくみじめだ,
自分は不幸だ,
誰からも受け入れてもらえない,
次男のような皆と同じ行動ができないおかしな子供がいて,
私が恥ずかしい。
私が人からおかしくみられるのが嫌だ。
次男が私の思い描いていた理想の子供像とかけ離れすぎていて,私が辛い。
普通の子供だったら良かった。
親プロ開始前の私はいつでもこのように感じていました。
とにかく集団からはみでる行動をする次男の全てに腹が立ち,
何故こんなにも私を苦しめるのか,こ
の子は頭がおかしいんじゃないか,
もう全てなかったことにしたい。
そのようなことが毎日頭をかすめる日々でした。
常に他人の目が怖く,基準は全て人からどう見られているか,思われているか。
人と同じものを(ものといっても主にステータス)もっていないことが不幸で,
私はそれに劣等感を感じ,一人で卑屈になり,
“私”というものは全て他人からの評価でなりたっていました。
その評価が悪いから生きている価値がない。
私はこんな人生はいらない。
でもこのようになったのは全て,物心ついた子供の頃から,
自分がそのようにあえてし向けてきたからだとも感じていました。
私は幸せにはならない人間で,そちらへ向かうようにしてきたから招いた結果だからと。
私はいつでも,自分から人と良い関係を築くことを拒んでいたように思います。
けれど,本当はそうしたくなかった。
けれどどうすることもできなかった。そんな感じだったと思います。
親プロのゴールは最初は間違ってとらえていました。
親プロのゴールは,次男が変わること、
私が今持っていないものを手に入れることで幸せになれる。
そこが私の目指すゴールだと思っていました。
●最初の日々のこと
減りかけていた癇癪ですが,
小学校に入学前後はとにかく何でもかんでもすぐに癇癪を起こし,
どこに地雷スイッチが仕込まれているのかわからないくらい,
ささいなことで癇癪を起こすので,観察し,
宿題としてメモすることで状況の把握からのスタートでした。
とにかく日々の出来事をメモすることで,私が次男に対して何をにぎりしめていて,
摩擦になっているのかが少しずつ見えてきました。
私がにぎりしめていたものは,
睡眠,
お金の無駄遣い,
チック,
ゲーム,
テレビ,
食事,
おかし,
歯磨き,
おふろ,
便秘,
宿題,
アトピー・・・・
朝起きてから寝るまでのほぼ全ての行動に対して
私は,小言・小言・小言,
それに従わず癇癪を起こす次男に切れていることがわかりました。
そのような出来事を宿題として書いていき,
牛田先生から,行動に注目するのではなく,その奥にある子供の気持ちに目をむけ,
観察する。
突然癇癪を起こしているのではないと教えてもらい,
とにかく生活の質をあげること。
生活をざっくりまわすこと。
1つずつ手放していけそうなところは手放す。
工夫することで対応できそうなことは今までと違ったやり方をしてみる。
とにかくこの親プロ期間中は実験だと思ってやってみて。と教わり,
失敗したことを宿題として書いていくことから始まりました。
癇癪は毎日のようにあるため,宿題ネタに困ることはなく,
日々おきる出来事を書きとめては,宿題としてもっていきアドバイスをもらっていました。
最初のうちは,
私が切れるのをやめる,
小言を減らす,
生活の質をあげる・・・
頭ではわかっていても,なかなか自分を押さえることができずに,また失敗しました。
と落ちては,こちらに来る事で私の不安を聞いてもらい,先生方から勇気をもらって自分をたてなおし・・・
けれど,次男に目に見える急激な変化はなかなか見られないまま,
私が次男のことを“大丈夫”と思えないまま,小学校生活が新たにスタートしました。
私の不安が1つなくなったと思えば,次から次へと新たに不安がでてきて,
けれど回はどんどん進み,焦りが先行していたように思います。
最初の大きな転機は,子供への怒りの整理をしたことでした。
次男には50個近く,「腹のたつこと」がありました。
その時に気付いたのが,次男への「猛烈に腹がたつこと」はなくて,
全て母に対することでした。
それまで母と何度も衝突していましたが,どういうことで喧嘩になっていたり腹をたてているのか,このときはじめてわかりました。
次男への「腹のたつこと」は整理をしてもらい,
全てを一度に手放すことはできませんでしたが,
私はしょうもないことを沢山握り締めていたな。
と今,読み返しても思います。
この時でてきた50個近くの腹のたつことは,今ではどれも、何でもないことです。
これだけ沢山にぎりしめていて,
その度に小言・小言・指示・指示をしていて,
従わない次男に腹をたてては,怒鳴りちらし,
摩擦の原因となることを私一人が勝手に増やしていたんだと思います。
私も次男も相当しんどかったなと思います。
6.親プロをやっていくうちにどんなことが起きたか
【次男のこと】
次男のことに関しては,ちょうど小学校入学があり,
その時期はとても大変だったように思います。
毎日のように激しい登校しぶりの癇癪。
付き添いがなければ登校できない。
宿題での激しい癇癪。
「俺は何もできない駄目な人間だ」と自分のことを言い,
担任の先生のことは「俺をいためつける,勉強ばっかりさせて俺を殺そうとしている,うそばっかりつく」と言っていました。
1学期の間は,学校へは何とか行っていましたが,
それ以外はほぼ家にひきこもり,ひたすらゲームをする日々でした。
放課後クラブでのトラブルから,夏休みは家で過ごすと決めていました。
夏休み初日に、ほぼ全ての宿題を、終わらすなど,少しずつ意欲的になってきました。
夏休み中もゲーム三昧でしたが,少しずつ近所の子とも遊びはじめ,
学校のプール開放に行ったり,
帰省している友達ともほぼ毎日遊び,
近所の子とお泊まりをしたりと,
今までの引きこもりがうそのように,楽しく過ごしていました。
夏休み明けの2学期から,多少行き渋るものの,付き添いがあれば登校でき,
3学期からは完全に登校班グループで登校できるようになりました。
学校での出来事も,入学当初は「学校はおもしろくもない,くそ最悪なところ」
としか話してくれませんでしたが,少しずつ話してくれるようになりました。
「俺は今日はこんなイタズラしておこられたよ」、
「今日は席替えしたよ,良い席になったよ」,
「係で人気の黒板係になれたよ」など,
嫌なことだけでなく楽しかったことも話すようになりました。
通知表での担任からの言葉も以下のように書かれていました。
・明るく活発な性格でクラスの楽しい雰囲気をつくっています。(2学期の終わり)
・困っている友達を手伝うなど優しさを発揮することもできるようになりました。(3学期の終わり)
・発表会での詩の暗唱はクラスの誰よりも早く覚え大きな声で練習しており,
クラスの手本となっていました。
係の仕事に責任をもち,何事にも意欲をもって取り組むようになりました。(3学期の終わり)
宿題での癇癪は,「なんでこんなに多いのか!めんどくさい!」と文句は言いながらも,
学校から帰ると宿題をしている日もふえてきました。
また,保育園の頃からも全く絵を描かず,入学してからも絵を描くことに関してはずっと抵抗していて描きませんでしたが,
(絵日記などの宿題は見本の絵をスマホで検索し,それを複写する形でさせていました)
3学期の最後には,綺麗な色づかいで描いた沢山の動物の絵が掲示されていて,
家でも,ゲームではまっている星のカービィの絵を練習するんだと,熱心に描いています。
学校でも,昼休みに友達とカービィの絵を描いて盛り上がっていると話してくれます。
友達からは,カービィの絵が上手だとほめられ,友達に描いたものをあげたり,
交換などもしているようです。
3学期にはいると,放課後にクラスの友達と約束をして遊ぶようになってきました。
休みの日も友達と遊んでいます。
人数が多いときは多少の言い争いになることもあるようですが,
おおきなトラブルもなく楽しんで遊んでいる姿がよくみられるようになりました。
友達同士でゲームで遊ぶことが多いですが,
外でドッチボールをしたり,
ケイドロをしたり,,
人数が多い方がたのしいからと,学年問わず近所の子を誘って皆で遊んでいます。
地域の催し物も,去年は「あんな所,絶対にいかない!」と言っていたのが,
楽しく参加できるようになりました。
日に何度も起こしていた癇癪
(はしが落ちたのはママが悪い,
飲み物が熱いのはばあばが悪い,
転んだら椅子が悪い,
ハンカチがないのはママが悪い・・・)
も,今ではほぼなくなりました。
すねることはありますが,癇癪までにはなりません。
私に対して,「ママなんか死ね」「どっかいけ」とも言わなくなり,
「ママ大好きよ」というようになりました。
私が「ママはねぇ・・・」と言いかけると,
「しってるよ,俺のことが好きって言うんやろ」というので,
「今日は違う話かもしれんないよ・・・」と言っても,
「いや,ママはだいたいいつも俺のことが好きって言うよ,ほらね」
という会話をよくするようになりました。
家で食べられる食事も以前は,
ふりかけご飯,素麺,うどん,チョコチップパン,アンパン,コーンフレーク
くらいしかありませんでしたが,
今,自ら進んで食べられるようになったものが増えてきています。
たまごかけごはん,刺身,鶏肉の照り焼き,炒飯,豚の生姜焼き,ほうれん草のグラタン,鯖の味噌煮,ぶりの照焼,ししゃものフライ,芋てんぷら,シチュー,すき焼き,かきたま汁,豆腐ハンバーグ,とんかつ,スパゲティ・・・
以前では考えられないほど,食べられるものが増えました。
野菜は家では今でもほぼ口にしませんが,
家の裏に畑をつくり,自分で植えたオクラとスナップエンドウは,「茹でて」といい,
茹でてやるとマヨネーズをつけて食べて,「これはうまい,俺が作ったのはうまい」
と言っています。
以前は必死で食べさせてやろうとしていて,けれど全く食べませんでした。
そして,何で食べないのか!と摩擦になっていました。
家では食べない野菜ですが,給食は残すことなく食べています。
口は達者で言うことも過激だし,
「宿題めんどくさい!最悪!」
「学校なんておもしろくない,そもそも学校は楽しいところじゃない。」
と言いつつも毎日学校へいき,6時間授業の日以外は,元気に帰ってきます。
2年生から6時間授業が始まり,
「なんでこんなに遅くまで勉強せんといけないんだ!」と言い,
6時間の日の朝は,「あーあ,今日は6時間授業なんて最悪だ。」と言っています。
学校はめんどくさくて全く楽しくもないところだけど,
唯一,体育の授業と休み時間だけは楽しいそうです。
2番目はしいていうなら図工だと言っています。
ついでに給食もまあまあ良いそうです。
「学校にはいろいろルールがあってめんどくさい。」と言っています。
私が仕事で帰りが遅くなっても,「なんで遅いのか!」と怒ることはもうありません。
「ママ疲れたやろう,おつかれさま」と肩をもんでくれます。
「次男のために仕事してくれてありがとうね」とも言ってくれます。
私が仕事でいない日があっても,もう不安ではないんだと思います。
親プロも最初の頃は,朝早くでるため,不安でしょうがなかったのか,
「俺も一緒に行く」「何時に帰ってくるの」「行ったらだめ」
としきりに言っていましたが,もう言いません。
「ママは行くけどお土産を買ってくるからね」などど言ってでていましたが,
あれ買ってこい,これ買ってこい,とは言わなくなりました。
お土産を買って帰るとうれしそうに
「ママ,ありがとう,こんなに買ってこなくてええよ」と言っています。
次男はこんなにも可愛い存在だったんだと気付くことができてよかったです。
次男はもう大丈夫だと思います。
【母のこと】
母とはほぼ毎日のように,言い争いをしていました。
喧嘩のたびに,私をきちがいだと言っていました。
私に対して,「頭がおかしい,くるっている」と言い,
それを父に話し,同意を求め,二人で「そうだ,そうだ」といつも言っていました。
怒りの整理で“猛烈に腹のたつこと”が全て母に対しての事ばかりでしたが,
母との関係はすぐにはよくならず,親プロ中も度々,言い争いをしていました。
母もまた,周囲のいろいろな事が不安で,
近所から言われた事や放課後クラブで言われた事,見えた事,
次男に関する母の不安に思う事を全て私にぶつけてきて,
さらに私も不安になるという悪循環でした。
仕事から帰ると毎日のように,次男の悪いところを私にぶちまけてきていました。
親プロで、まずは,母には何も言わず,“ありがとう”だけにしましょう。
とアドバイスをもらいました。
私から母に,意見や,要望,特に文句を言うことをやめることから始めました。
私が言葉での母への攻撃をまずやめることを意識して生活しました。
そのようにしばらく距離をとっていたら,
親プロ後半くらいから母が少しずつ変わってきたように思います。
【私のこと】
学校,保護者,近所のつきあい,全て避けていました。
親しいママ友もいませんでした。
学校が怖くて,最初の参観日以降は行かず,担任の先生との懇談会も行けませんでした。
私は子供の頃からいつもだいたいひとりでした。
女の子のグループに入れませんでした。
一人でも平気なフリをして過ごしていました。
けれど,本当は寂しかったんだと思います。
本当の友達が欲しいと求めつつ,裏切られたくないという思いが強すぎて,
自分から離れていました。
人はいつか必ず自分から離れていく。といつでも思っていました。
自分から距離をとって近づくことを避けてきました。
それは家族に対してもそうでした。
けれど今、私は家族のことが信じられるようになりました。
お母さんは私の味方だった。
お父さんは最初から味方だったと気付いた。
次男は私のことが大好き。
いつでも私の話を最後まできいてくれた竹森心理士さんがいたからだと思います。
私がどんな事を言おうとも,最後まで見放さずにいてくれた牛田先生がいたからだと思います。
私の事を見捨てずにいてくれる存在は,こんなにも私に生きる勇気を与えてくれたんだと思います。
私は親プロがスタートする前,グループなのは知っていましたが正直不安でした。
人とうまくかかわることができない私が,女性のグループの中でうまくやっていけるだろうか。と思っていました。
親プロを1年受けた今,このメンバーでなければ,ここまで自分の気持ちに気づくことはできなかったんじゃないかな,と思います。
皆で親プロ前に琴平に泊まった時に,居心地の良さを感じました。
もしかしたら,友達ってこういう感覚なのかなぁ,と一人思っていました。
そういう気持ちを感じさせてくれたメンバーが居て私は良かったなと思いました。
親プロが終わることが不安で不安でしょうがなかったのですが,
今,気持ちは落ち着いています。
たぶん,これからもいろいろなことはあると思います。
進む方向がボンヤリとだけど見えてきたからかな,と思っています。
傾聴も得意だとは言えません,これからだと思います。
それでいいかな,と思えるようになりました。
たぶん,次男は大丈夫だと思えるようになったのが一番だと思います。
【私自身の気持ちの変化】
親プロは子供の治療ではなくて私自身の治療だったんだと終わった今,気付きました。
それくらい,私にとって親プロは子供以上に私自身の心の動きがとても大きかったように思います。
はじめはとにかく小学校入学で環境が一変し,次男の対応に追われていました。
放課後クラブでのトラブル,近所のことのトラブル,
次男のトラブル対応に必死で私自身の気持ちの変化はまだありませんでした。
親プロ開始前~初期の頃の感情はとにかく,周囲が悪い!母が悪い!
と、私の周りの人を責めることばかりでした。
後半ぐらいから次男のことがぐっと楽になってきて,
母も少しやわらかくなってきた時くらいから,
少しずつ私の気持ちがグラグラと揺れ動きだしたように思います。
きっかけは,親プロ終盤に、子供以外の人への怒りの整理をしたことでした。
私は母への怒りの整理はもう終わっていて,ほかの対象者がおもいつきませんでした。
残るのは自分自身への怒りばかりでした。
書ききると,次男への怒りよりも多く,80個ちかくありました。
他人へ向けていた怒りが全部自分自身へ矢印がむかっている感じでした。
この自分自身への怒りも,牛田先生に書き換えてもらいましたが,
その時点でも私は
「幸せではありません」
「お母さんがHappyでないといけないことが辛い」
と言っていました。
牛田先生からは,私は必死で青い鳥を探している状態だといわれましたが,
まだこの時点でも幸せがない,と探していました。
今、目の前にいる家族での幸せと感じる時間を増やし,その幸せを感じていたらよい。
との言葉ももらいましたが,それはとても難しいことだと感じていました。
“見方を変える”ワークをしました。
自分の短所を長所に言い換えてもらうときに一番に思い浮かんだのが
“私は人を傷つけることでしか自分をたもてない人間”
というものでした。
私は“過去の私のような人”から攻撃を受けて苦しんでいるメンバーの話を聞くことができず,
逃げることしかできない自分に嫌悪感を感じていました。
嫌悪感や,罪悪感も感じながらも,
“過去の私”を守りたい、隠したいという気持ちがだんだん強くなってきてしました。
また私は自分の保身に走るのか・・と落ち込みました。
結局私はいつでも自分のことしか考えられない人間だと感じていました。
“過去の私”は何がそれほど辛くて、人を傷つけてきたのかわからなくなっていました。
母はとても過酷な幼少期を過ごしてきたのだから,あのような状態になるのは理解できる,
けれど私は母ほど過酷な状況では育っていない・・・と。
もう,このこと以上に大きく揺さぶられることはないだろうと思っていたところ,
最後の大きな揺れは“褒めるワーク”でした。
私は“強い”という言葉をもらいました。
この言葉は子供の頃から嫌いな言葉で,
親プロを1年受けたのだから,もう言われないだろう,私も少しはかわっただろう。
と勝手にも思っていました。
本当は,「もう強くなくていいよ」「弱い私でいいよ」
と言ってもらいたかったんだと思いました。
子供の頃からずっと,特に母から,「あなたは強いから」と言われ,
「あなたは強いから」と言われると、
全てを何もなかったように飲み込むしかありませんでした。
この言葉からもう解放されたかったんだと思います。
牛田先生,竹森さんから“強い”という言葉の本当の意味を教えてもらい,
明るい言葉だと知ることができました。
“褒めるワーク”がなければ,なんとなく嫌いな言葉としてそのまま過ごしていっていたんだと思います。
最後に私を縛り付けていた言葉からも解放され,
親プロを通じていろんな複雑なものがなくなったように思います。
私は今まで,誰か他人から「生きていていいよ」,「弱くていいよ」
,「そのままの私でいいよ」とずっと言ってほしくて,
誰かから認めてもらいたかったんだということに気付きました。
けれどそれはずっと得られないままでした。
けれど,今私は,私自身に「生きていていいんだよ」
と言ってあげられるようになりました。
私は私自身にようやく○をつけてあげられるようになりました。
親プロで得たものは目に見える,いわゆる子供の悩みが全てなくなるとか,
子供が私にとって困ることをしなくなるとかではなくて,
次男はそのままで可愛い。
私はそのままの私でいい。
そう言ってあげられるようになったことです。
私はそれを得ることができたんだと思います。
これからも,いろいろなことが起こると思います。
けれど,それはその時にまた考えたらよいと思えるようになりました。
7.もしこのプログラムに参加していなかったら…
親プロを受けてなかったら,
という未来は想像ができない。
親プロを受けていなかったらうちの家族は、もうとっくに居なくなっていたように思います。
次男の未来も想像できない。
私はもう生きることをやめることしか考えていなかったから。
0コメント